福岡DAF

2月4日福岡DAFに出場しました。

朝ホテル出たら雪がちらついてて、「あーっなんてこったぁー」となりましたが、直ぐに晴れました。

毎回晴れるDAF。

きっと神様のご加護でしょう。

 

今回の会場はこちら。

Live & Bar HanaHusa

最高のイベントスペースです。

ここで出来る幸せたるや。

リハ後は開場前に一足早いお食事。

Mountain牛は、美味しいうえにボリューム満点。

これでチャージ完了です。

 

個人的な面で今回意識したのは気持ちと言いますか熱意ですね。

これまで原稿重視で、一言一句外さないように意識しながら言葉を置きにいっていました。

型を整える事ばかりに気を取られて、肝心の熱意が欠けていたと思ってました。

今回は良い意味で従来ほど原稿を重視せずに臨みました。

熱意は前回より込めれていたんではないかと思います。

 

お客様の反応については、函館の時の良いイメージがあったので、少し油断があったのかもしれないですね。

規模の大きな街、それゆえにエンターテイメントに対しても成熟していてハードルも高いのかもしれないです。

でも、話をちゃんと聞いてくださってた印象です。

もっと笑ってもらえて、もっともっと頷いてもらえて、聞いて良かったと言ってもらえるよう日々積み重ねます。

また福岡に来れますように。

このメンバーで出演できたことが嬉しいです。

次は2月17日、春日部DAF

連戦となりますが、新しいネタで出場します。

枠名も入場曲も決めてます。

ステージ上で熱意をもっと込めれるように、仕上げていきますので、ぜひ会場で見届けてください。

仕事は自分を幸せにするためのもの

仕事って自分を幸せにするためにするもの。

幸せじゃないのは自分の責任。

自分で動かなきゃ。

だからと言って直ぐに今の仕事を辞めて転職だったり起業は違います。

まず、今の仕事で幸せになれるように取り組む、取り組み方を改善して評価を上げる。

そこで万策尽くしたなら、幸せになれる仕事を探す(転職)、

或いは

幸せになれる仕事を作る(企業内プロジェクト立ち上げ又は起業)。

わたくし自身も5年間は取り組み方を工夫し続けました。

スキルも上がり、評価も上がり、年収も上がりました。

でも、この仕事を続けてても、やっぱり幸せにはなれないと感じました。

また、今の仕事をしてるのは将来やりたいことがあって、そのための準備期間だと入社時から考えていました。

そろそろ本当にやりたい事に挑戦しても良いんじゃないか?

そういう想いがあって転職を決めました。

自分をもっと幸せにするために。

転職活動とヒッチハイク

しばらく転職活動期のことを書いていきます。

昨年のゴールデンウィークあたりから年末頃までの約半年間転職活動をしてました。

早々に転職先が決まると期待しながら全く上手くいかない日々が続きました。

40歳過ぎると転職市場では価値が無くなってきます。

おまけに企業の中でもかなりマイナーな職種を希望していました。

書類審査で落ち続け、なかなか面接までたどり着きませんでした。

諦めずに行動すると、面接が決まるようになりました。

しかし、面接が決まっても面接で不採用になることを繰り返しました。

途中何度も挫けそうになりました。

でも、最終的には何とか今の会社から内定を貰えることになりました。

この挫けそうになった時、なぜ続けられたのか?

それは、ある法則を利用したのです。

はい、ヒッチハイクの経験から得た成功法則です。

この法則と当時の自分の立ち位置を何度も比較し、ゴールを見失うことなく、耐えつつも行動し続けることができました。

これからしばらくはヒッチハイクから得た成功法則を、どのように転職活動に活かしたのか書き記したいと思います。

DAF10に出場しました

12月2日(土)西澤一浩さん主催のDAF10に出場して参りました。
西澤さんDAF10出場の機会をいただきありがとうございました。

そして、ご来場いただき、ご声援送ってくださった皆様、
本当にありがとうございました。
ただただ感謝です。

写真は松崎元気さん撮影

ちょうど1年前のDAF6で初出場の機会をいただきました。
正直自分なんて一度出て終わりだと思って臨んだのですが、
有難い事に継続して機会をいただき今回で5回目の出場です。

そもそもわたくしとDAFとの出会いは、DAF2まで遡ります。
観戦して即魅了されました。
そして、いつかあそこに上がってみたいなぁと、
なんとなくぼやっとした憧れを抱きました。

以来DAF3,DAF4,DAF5と客席で観戦。
DAF NXT経由で昨年のDAF6で出場の機会をいただいた訳です。

そして、今回DAF10ということで、偉業を成し遂げられた方が4名おられます。
その偉業とは...10回連続10回目の出場です。

水越浩幸さん
石川和男さん
福田剛大さん
大谷更生さん

まさにDAFの歴史を築いてこられた方々だと尊敬しております。
そして、初観戦以来客席から憧れの眼差しで観てきた方々が10回連続出場の偉業を成し遂げられた記念すべきDAF10。
ここに一緒にステージに立てたことにこの上ない喜びを感じてました。
4名の先輩方、改めておめでとうございます。

当日は表彰式も行われました。

表彰式の様子はこちら。

一方で、驚きの事実も。
それは10:2:12です。

今回25名と過去最多の出場者だったのですが、
そのうち自分よりも初出場が先の出場者の人数(10名)よりも
初出場が自分よりも後になる出場者の人数(12名)の方が多かったのです。
ちなみに同時期デビューが御2人。

先輩:10
同期:2
後輩:12
で10:2:12です。

毎回自分は末端だと思ってましたが。
気付いたら中堅どころになってしまってたわけです。
先輩方が築いてこられたものを引き継ぎ、発展させ、伝えていく責任があるんだなあと。
そして、いつか自分のステージを観てDAFに出たいと思って貰える方が現れ、その方がDAFに出場する日が来れば良いなあとも。

自分のパフォーマンスには色々反省点はあるんでしょうが、
それは後ほど動画を観てしっかりと。
次の機会をいただけた時にまた違った姿をみて貰えるように
日々ちょっとずつ変化を付けながらレベルアップを目指して継続します。

僅差枠の笑助でした。

始める理由

「何をしたいのかわからない。」
若い世代の方と話しているときに、たまに耳にします。
何かやらなきゃと思ってて動けない自分への焦りからの言葉なのかなと思っています。
でも、そもそもやらなきゃって思えることが凄いこと。
自分の可能性を信じてて、自分を活かせる場を探し求めてるから思えるんです。
わたくしと同じ世代の人と話しても、「何かやらなきゃ」って思わなくなった人が多いんですよ。
それこそ住宅ローンの返済や老後の資金を確保することの方が重要で。
やらなきゃって意識なんて持ってない。
残念な言い方ですが、自らの可能性を追求することは諦めて、まあ悪くはないとこに落ち着けば良いかと打算的になっているように見受けます。
一方で、「何をしたいのかわからない。」と悩まれる方は、恐らくですが、頭で考えすぎなのではないかと推測します。
失敗を恐れたり、より良い選択しを模索したり。
でも、自分の頭だけで考えても仕方ないんです。
しょせんは自分の頭。
世界はもっと広いし、頭の想像を超えた世界が広がってます。
何よりやって初めて面白さが分かることもあります。
良い意味での行動への身軽さは大切なのかもしれないです。
わたくしがヒッチハイクしたのは、たまたま本を読んで、
これなら出来るかなと思ったのがきっかけ。
本当に短絡的に決めました。
軽い気持ちで良いので、何か面白そうと思えるものに取り組んてみること。
あれこれ考えて動けないよりは、短絡的 でも行動することの方が大事なのではないかと思います。
そして始めたなら、ある期間は何が起きても受け入れてやり切る。
それこそ楽しむ気持ちを持って。
でも、やり切って駄目ならそれから判断すれば良い。
別の解決策を模索したり、それこそすっぱり諦めれても良いし。
短絡的で始めて、まずはやり切る。
それこそこれかなと何となく思ったことは片っ端からやっちゃえば良い。
そういう一つ一つの経験が積み重なって、初めて自分にしか見えない、気づけないことに巡り会えるのかなと思います。

成功するために必要なもの

ヒッチハイクして得た学びの一つに、

「成功するために必要なものは、

実はそんなに多くはない」

があります。

極端なことを言えば、

成功するために必要なものは、

ただ一つ、

「根拠のない自信」

だと思っています。

わたくしの考える、根拠のない自信を持っている状態とは、以下の3つを満たしている状態です。

1.なんだかわからないけど、きっと上手くいくはずだと確信している。

2.やっていること自体がとにかく楽しい。

3.周りの目が気にならない。

しかし、わたくしは、ヒッチハイクを始めたとき、この根拠のない自信を持っていませんでした。

でも、ヒッチハイクを終える頃には、根拠のない自信が芽生えていました。

つまり、根拠のない自信を育てることができるんです。

そして、ヒッチハイクの旅に出たのはたったの5日間。

そうです。

たった数日の間に根拠のない自信を育てることは可能なんです。

「日本人は〇〇い」

〇〇に入る文字として、どんな文字を想像されましたか?

冷たい。
賢い(字足らず)。
気難しい(字余り)。
答えは続きを読んで確認してください。
「ヒッチハイクしたんですよ」と話した場合に、
「日本で乗せて貰えるんですか?」
と、たまにれ聞かれることがあります。

僕としてはとても意外に感じる言葉でもあります。
まるで海外でのヒッチハイクと比較されているように感じるからです。
と言いますのも、正直に申し上げて僕には海外でヒッチハイクする勇気はありません。
海外でのヒッチハイクを想像したときに真っ先にイメージする単語が「殺される」。
日本みたいに安全な国だからこそヒッチハイクしようと思えました。
それだけに、先のように聞かれると、
「海外でヒッチハイクする方が難しいだろうな」という想いを浮かべるとともに、
「日本人は本当に優しですよ」と思うんです。
はい、タイトルの「〇〇い」の部分は「優しい」です。
でも、都会に暮らしていると日本人の優しさに触れる機会よりは、
冷たさを感じる機会の方が多いのかもしれません。
例えば、朝の通勤ラッシュ時。
電車通勤をやめて久しいので過去の記憶をたどる限り、流れ作業のように人が移動してました。
定刻通り出社することを優先させると感情は二の次。
仮に困って駅で立ち尽くしていても、人々は見て見ぬふりをして通り過ぎていくでしょう。
そう考えると、「日本で乗せて貰えるんですか?」と聞かれるのも無理はない話です。
実のところは冷たいというよりは、単に余裕がないだけ、あるいは他人に無関心なだけなんだとは思いますが。

でも、僕は「日本人は優しい」と考えて日々過ごしています。
勿論、見知らぬ人にむかついたりイラっとしたりすることもたまにありますが、
自分のなかで、「日本人は優しい」というのが基本にあります。

そのように考えられるようになったのはやはりヒッチハイクの経験が大きいです。
ヒッチハイクでは合計9台の車に乗せて貰えました。
ただ乗せて貰うだけではなく、食事の心配をして貰えたり、
食事やコーヒーをご馳走してもらうこともありました。
また、ヒッチハイクしている僕を見つけたけど一度通り過ぎてしまい、わざわざ引き返して来て乗せてくださった方がいました。
それも9台中5台の車がです。

乗せて貰えるだけでもありがたいのに、「ここまでしか行けずにすいません」と言われたり。
更には、バイクの方からは、「乗せてあげれないけど、
誰かに乗せて貰えるまでは一緒にいてあげるよ」と温かい声を掛けて貰えたり、
通りすがりの方からも「頑張れよ」と声を掛けて貰えたりしました。
いかにもオヤジ狩りしてそうな若者4人組も車に乗せてくれました。
ちょっとした言葉や気遣いが本当に嬉しかったことを鮮明に覚えています。

このような経験を通じて、僕には「日本人は優しい」という想いが定着したのだと思います。
また、この時受けた優しさを、日常生活の中で機会があれば返していきたいなと思えるようになりました。
まだまだ完璧に実践できているわけではありませんが、
困ってそうな方を見つけたら、出来る範囲で声を掛けようと思っています。
そして、「日本人は優しい」と考えて日々過ごす方が増えたら素晴らしいなと。

もし、冒頭の〇〇で「日本人は冷たい」と考えた方は、
「日本人は優しい」と思って過ごしてみてください。

宣言する

行動に移すと言ってもなかなか簡単ではありません。

どうしてもやりたいんだ!と思えることならまだしも、義務としてやらないといけない場合ですらギリギリまで行動に移せなかったりします。

ましてや特にそこまでやりたいと思えるようなことでもない場合、尚更です。

わたくしは、当初ヒッチハイクをどうしてもやりたいと思っていたわけではありませんでした。

むしろ、当日になって、ヒッチハイクするのは正直面倒だなとすら思いました。ここだけの話、やめようかなって思いました。

ではなぜ、あの時、自分はヒッチハイクの旅に出ることができたのか?

それは、周りに宣言していたからだと思います。

ヒッチハイクの旅に出る前に、会社の人にヒッチハイクすることを宣言していました。

更には、ヒッチハイクから帰還した際には、ヒッチハイクの報告会まで開いてもらえることになっていたのです。

ですので、ヒッチハイクをやらないといけない状態に追い込まれていました。

言うなれば、宣言したから、しぶしぶではありますが出発することができました。

また、ヒッチハイクの途中でやめたいと思ったときがありました。

でも、そのようなとき報告会のことを考えるとやりきらないといけないという思いになり、続けることができました。

良い意味で圧力となったんです。

その点では、まわりに宣言するって意味はあるんだなと思います。

なお、あまり何でもかんでも宣言してしまうと、後々自分の首を絞めることになりかねないので、注意が必要です。

準備なんて一生整わない

旅を始めた時のことを書いていきます。

まずは、準備の話から。

どれくらい時間かけて準備したのか?

実のところ、旅の当日まで何も準備もしていませんでした。

ヒッチハイクした人の本を読んでなんとなくイメージしたものはありましたが、それ以上の準備はしませんでした。

当日になってようやく、やらないとなと思い、荷物をまとめたほどです。

とりあえず行き先を書くマジックとダンボールくらい必要だと思ってましたが、他に必要なものって言われてもあまり思い浮かばなかったんです。

たいして頭も働かせず、ヒッチハイクするときのことをあまり想像したりすることもありませんでした。むしろ何が必要なのかなぁ?と思うほどでした。

おまけに、幸いにもと言いますか、マジックもダンボールも自宅にたまたまあったので、当日まで取り立てて準備する必要もありませんでした。

ですので、当日になって適当に着替えと充電器と財布だけをリュックに積めて自宅を出ました。

まるで、一泊二日で実家に変えるような感覚でした。

自分でもあまりに無謀な出発だったと思います。

おかげでこの後痛い目にあうわけです。

でも、今思えばそれで良かったんだと思ってます。

準備するにこしたことはないと思いますが、準備にこだわり過ぎて行動に移せないよりは、準備せずにでも行動した方が良い。

この日も準備のために出発を1日送らせていたら、結果的に旅には出ていなかったと思います。

準備なんて一生整わない。

まずは行動すべし!

旅に出た当時の自分の状況

旅に出た当時の自分の状況についてお話しします。
当時、研究職を辞めて会社に転職して4年が経過していました。

研究者の時は、
上司から信用され、自分が好きなように仕事を出来ていました。
例えば、
大学院生の研究テーマを考えて指導したり、
技官の面倒をみたり、
自身も実績も挙げてアメリカ癌学会から賞を貰い、
研究室内での裁量も与えられていました。

もちろん、労働時間も長く、
日々精神的なプレッシャーと負荷の高い肉体労働とで大変な仕事でしたが、
自分が新たなサイエンスの歴史を作るんだとの想いを持ち、とてもやりがいを感じていました。

でも、ちょうど35歳を迎え、この先も大学に残るかを選択を迫られることになりました。
その時、わたくしは、研究者としては超一流になることはないと悟りました。
というのも、同僚の研究者がとても優秀で。
将来彼とポジション争いになった時にとうてい勝てないだろうと感じたんです。
また、時同じくして、研究以外の道で新たに使命感とやりがいのある仕事を見いだせました。
そして、その新たな仕事に挑戦したいという意欲が湧いていました。
そこで、研究者を辞めて現在の会社に転職することにしました。

興味を持って入った業界でしたが、
入社して1日目で自分が想像していた種類の仕事ではないことを理解しました。
それどころか、自分の得意なことは全くと言ってよいほど業務には無く。
反対に、自分にとって苦手なことを山のようにこなさないといけませんでした。

例えば、研究者時代のわたくしは、アイデアを出すのは好きで、
そのアイデアを即試すことに喜びを感じていました。
その一方で、成果を文書としてまとめるのが苦手。
また、成長には量稽古が必要だと考えていました。
更には、成功よりも失敗が当たり前の世界なので、多くの失敗をすることから成功へ繋げていくことが前提だと考えていました。
しかし、会社では、1にも2にも文書を書くことが仕事。
そして、失敗と言うものが全く許されない世界。
転職後にすぐに量稽古を積む機会を得ることはできず、なかなか仕事の勘所を掴み切るとこまでいきませんでした。

明らかな自身の能力と仕事で求められる能力とのミスマッチです。
努力はしてるつもりだけど、なかなか成果が得られない。
やってる仕事を面白いと感じることはなく、寧ろ苦痛に感じていました。

更に、業界も分野も変えたことで、誰からも期待されず、
むしろお荷物なくらいに思われているなと感じていました。
なので、やりたいことや自分に合う仕事は他にあるんじゃないか、
自分を活かす仕事はこれじゃないなどと、
毎日悶々として過ごしていました。
本当に毎日現在の仕事から目を背けようとしていました。

また、旅に出た当初、僕は飲み会では活躍しても仕事ではイマイチ振るわない存在でした。
はっきりと言って、さえないサラリーマンでした。
仕事にやりがいを感じない、
常に納期を気にしないといけない不安を抱えて仕事をし、
毎日残業、
土日も仕事、
でも納期遅れる、
そんな自分に周りから低く評価されてるなと感じていたので、ビクビクし、
自信もなく、
上司やグループの先輩からも頼りにされていないと感じ、
とても居心地の悪い状態で過ごしていました。

そして、次第に疲弊して、仕事を楽しいとは思えない状態で日々過ごすことになりました。
正直なところ、次の仕事が見つかったら仕事は早く辞めようと思っていました。
研究者時代とは真逆と言って良い状況でした。

また、私生活でも、
労働の割に給料もなかなか上がらず不満でした。
夢と言われても、何となくああなりたいイメージはあっても、近づける気がしないし、
何とか、現状を脱したい、
また、SNSで友達が美味しいものを食べていたり、海外に旅行している投稿を見ては、
人を妬んだり羨んだりしていました。

ですので、
何となく、変わりたいな、現状を打破したいなと感じてるけど、
日々の残業、土日も仕事で時間的余裕もなく、具体的に何から初めて良いか考えることもできず。
また、一歩踏み出す勇気も持てずに、明るい未来を見い出せていない状態でした。

特に策もないけど何とかこの状況から脱したいとの思いで、
言うならば現実逃避で、ヒッチハイクすることにしました。
何か変わるんじゃないかと薄っすらと期待を抱き。